[l]と[r]は、間違えて当然!!
yaozoです。
前の投稿で日本人が[th]の音が苦手だと言われる点について、「別に日本人に限ったことではない」という話を紹介しました。
その第2弾と言えるテーマとして、日本人が苦手とされる発音ランキングみたいな特集では[th]そして、[v]と[b]、[æ]と[ʌ]のセットと並んで、最も話のタネに取り上げられるのが、この[l]と[r]の発音仕分けの問題を取り上げてみたいと思います。
「I rub you」って誤解されるなんて、一体どんな場面だよ
特に耳タコなのが、「I love you(あなたを愛してます)」と言おうとして「I rub you(あなたをこすります)」と間違えられた、という話です。
しかし、どんなにこちらの発音が悪いにしたって、「事実として、I rub youに聞こえる」ことはあっても「I love youに間違えてしまう」人なんていないでしょう。
まず、よく例に出されるこの「I rub you」ですが、こんなフレーズ、日常的に使い機会はほぼ皆無でしょう。
文法的には決して間違ってはいないが、文脈的には稀有な言い回し、の1つだと思います。
まぁ、百歩譲って、「I wanna rub you, baby」とか「Can I rub you?」は、ごく特殊なシチュエーションにおいては言い得るとは思いますが、そんな「場面」の話は人前でするもんじゃないでしょう。
「Can I have lice」って、そんなメニューないでしょ?
同様に、「Can I have rice(ごはんをください)」と言いたくて「Can I have lice(シラミをください)」と「うっかり間違ったら大変」なんていう人もいます。
わざわざ言われることはありませんが、この手のお話の前提は、相手がこちらより英語が達者な人に対して、「日本人のみなさん」が「下手な発音」をすると「誤解される」ということになっています。大抵、レストランを想定してますよね。
しかし、ウェイターが日本人より達者な英語を話すような国の食べ物屋さんに、そもそもシラミなんておいてないでしょう。そんな国で、どんなにうっかりしたウェイターであっても、客から「シラミを出してくれ」と言われていると思うわけがありません。そんなコミュニケーション能力では、チップで稼ぐウェイターで生活できるわけがありません。
仮に「すみませんが、当店ではシラミはお出ししておりません」などと真顔で言われたんだとしたら、それは単なる人種差別でしょうから、即刻そんな店から出ればいいだけです。
ゴリ押しのジョークにはうんざり
さて、この2例に共通する点は「このように聞こえてしまう」という事実を、あたかも「このように間違えられてします」と、意図的に歪曲している点です。
本当にそんな風に間違える人がいたら、よほどコミュニケーション能力に問題を抱えている人でしょうから、そんな下手なジョークのような誤解の前に、当の本人にはもっと根本的かつクリティカルな問題が生じているはずです。
どう考えても好意を持っていてもおかしくないような関係の人から言われた言葉を「I rub you」と誤解してしまうような人なら、ちゃんとした発音で言ったって、なんだかんだいって誤解をしてしまい、誰とでもケンカになっているでしょう。
また、マジで「ウチにはliceはおいていませんけどぉ」などというようなウェイターは、あなたのテーブルに来る前にとっくにクビになっているはずです。
何を言いたいかというと、一部の英語教育者などが、学習者の恐怖をあおってビジネスの成果を得ようとする際に、これらの典型的なばかばかしい話を持ち出して、「だから一所懸命勉強しないと、全く通じませんよ」と脅かしているのは、ナンセンスだし卑怯ではないか、ということです。
もちろん、正しい発音ができたほうが良いに決まってますし、それをゴールに皆が励んでいるわけですが、だからといって通じる発音を「それでは通じませんよ~」などといって脅かすことに、少しも教育的効果はないばかりか、それで生み出される恐怖心はかえって逆効果を生み出している、と思うのです。嘘までつかなくてもいいじゃないか、ということです。
臨界期仮説と恐怖マーケティング
このような脅しと同時に学習者の脳裏をよぎるのが、学習における「臨界期仮説」です。
いわく、言語や楽器の習得について、「●●歳を過ぎると急激に学習到達度が落ちる」という学説です。
これは大体、「そんな発音では通じませんよ~」と脅す人が言うことが多いかもしれません。
つまり、「そんな発音では通じなませんよ~」などと言っておきながら、「●●歳を過ぎると勉強しても無理かも」というわけです。
そんなら、大人は全員どうすりゃいいっていうんでしょうか。
おそらく、少子高齢化でどんどんシュリンクしていく教育ビジネス事業者が、幼児英語教育市場を拡張したいと強く願うばかりに発生した、恐怖マーケティングの一環だと思いますが、大人の学習者にとっては、このような話に耳を傾けても、全く得るところはありません。
それに、実際は語学については、成人してから学習した場合であっても、環境と努力によっては、10%以上の人がネイティブ並みの能力を獲得できるとする研究結果もあるそうです(出典:wiki「臨界期仮説」)。
頑張り次第でどうにでもなるじゃないですか。
それに、「ネイティブ並みになることを目標に励み」ますけど、決して「ネイティブ並みにならなければ習得したことにならない」わけではないですからね。そんなこと言ってたら誰もしゃべれるようになりません。通訳にでもなるのでなければ、そこそこでいいじゃないですか。
[l]と[r]が苦手なのは無理もない、という専門的解説
などと長々と、耳タコの俗説を批判したのもちゃんとした訳があります。
というのは、「ネイティブなら全く当たり前にできるこの区別が日本人にはできない」というような論調で語られがちですが、この2つの音は、そんなに強弁していいほど「違う音」ではありません。それどころか、数ある子音の中でも、「大変よく似たコンビ」のため、「発音仕分け」や「聞き分け」ができないのも、無理がないと思います。
私自身、長らくそのように考えてきたのですが、例のごとく堀田隆一先生の『hellog ~英語史ブログ』で、そのあたりについて、いくつもの関連投稿が上がっていたので、ここでまとめて紹介したいと思います。
その1. そもそも音声学的に近い
まずこの2つの音は、音声学的にみて近い音だという事実があります。堀田先生は↓のように書いています。
この二音は「流音」と呼ばれ,ともに舌先と歯茎を用いて調音される.前後の音と合一して,母音のような音色に化ける点でも似ている.これくらい似ているのだから,間違えても当然,と開き直ることができる.
その2.英語話者も、この2つを代替して使うことがある
次に、この2つがネイティブの頭の中でも、「とても似た音」としてとらえられている証拠として、ときにこの「2つが交換して使われている」事実から指摘しています。
一つの語のなかに [r] が二度も出てくると,口の滑らかな話者ですら舌を噛みそうになる.その場合には,ちょっと舌の位置をずらしてやるほうが,かえって発音しやすいということもありうる.そんなとき,一方の [r] を [l] で発音してはどうだろうか,あるいはその逆はどうだろうか,などという便法が現れた.
具体的には、pilgrim(巡礼者)という単語で説明されていますが、この語の語源は、ラテン語のperegrīnum (外国人)だったところを、英語に導入するに際して、<r>が2つ含まれているのを嫌って、最初の<r>が<l>に置き換えられた、とのこと。これを「異化作用(dissimilation)」と呼ぶらしいです。
これは、[l]と[r]が、「似た様な音だけど違う音」「別の音だけど、代替していいくらい似ている音」ととらえられているからでしょう。
他にも、星に関係した言葉で[star]と[stella]が紹介されています。
結局は[th]音のときと同じことの繰り返しになりますが、日本人ばかりが言語的に劣っているかのような語り口でしきりにだまそうとする人は少なくありませんが、日本人に難しいことは他のノンネイティブにもやはり難しいだろう(場合によってはネイティブにとっても)、ということです。
やはり小さな結論としては、無用な脅しに耳を傾けずに、地道に学習を続けるという以外ないのではなかろうか、という至極当たりまえのことでした。
な~んだ、と安心してくれた方は、これからも自信を持って共に地道に勉強に励みましょう。
英語学習については高額なスクールに通う前に、かなり計画的に学習誘導してくれるような、自学ツールでコツコツやるのも一つの手ではないでしょうか。
ちなみに、うちの中一の娘はこれで英語頑張ってます。
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