大西泰斗という衝撃。私はこれで本気の英語学習をはじめました

英語学習


私がちゃんとした英語学習をはじめたのは、前の投稿で書いたような日本社会における外部環境の変化以外に、個人的なきっかけもありました。それがTVで見た大西泰斗先生です。

今では英語学習者で知らない人はいないと言っていいような超有名人ですね。ただ、私がちゃんとした英語勉強を自学しだした200x年中盤のころは、まだまだそれほど知られていなかったように記憶しています。

はじめて大西先生のことを知ったきっかけは、NHK Eテレの「ハートで感じる英文法」という番組だったと記憶しています。当時のEテレ語学番組の講師としてはかなりかわった風ぼう(眼鏡がオシャレすぎ)と独特の立ち居振る舞い(基本的には“破顔”といっていいほどのニコニコ顔)を見て、かなり驚き、強く印象に残りました。調べたらこの番組、2005年に開始されたとのこと。もう14年くらい前になるわけですね。

 

最初は、この方のビヘイビアが面白くて、やや斜に構えた態度で、面白がりながら見ていました。

もちろん、その教授法も斬新で、英文法という、それまではとにかく記憶一辺倒な科目だと誰もが疑わなかった時代に、「イメージ」を重視することで、ネイティブと同じ「感覚」を私たち日本人の頭の中に構築する、という方法でした。普段は英会話番組は、たまにちらっと見るくらいで、「あいかわらず面白くないなぁ(失礼)」等と思い、継続視聴した番組はありませんでしたが、この番組ははじめて、定期録画までして毎回見ていました。

この番組での教授法を本にしたのが、彼の英語学習エバンジェリストとしての金字塔ともいえるこの本です。

 

 

上のバージョンは、最新改訂版です。

 

 

その後、2011年の発売当初から現在に至るまで、長年にわたってベストセラー街道をまっしぐら中の、ご存じ「一億人の英文法」を手にすることになるわけです。

 

彼の本のベーシックモチーフは、英文法は「頭で理解する」のではなく「ハートで感じる」ものだ、というものです。ですので、これらの本には、イラストがふんだんに使われています。

それはこれまでの英語本でのイラストのように、文中に出てきたワードを何となくイラストレーターに発注して入れてみました的な、飽きずに読んでもらえることを目的としたような半端なものとは一線を画していました。

いまでは、これらの本で使われているイラスト手法は、大変多くのフォロワーを生み、今では英語学習書の定番になっています。

大西先生の本で私が一番おすすめしたいのは、この本です。

 

 

これは、上記2冊の名著、なかでも「一億人の~」がかなり内容もボリュームもハードコアなのに比べ、「英単語」という英語学習の基礎となる要素にフォーカスし、彼一流のイメージを駆使してハートで感じることでネイティブと同じように英単語を体に染み込ませることを狙った本です。

2008年初版で、今手元にあるのが、買い替え何度目かにあたる2017年13刷です。


 

 

”This is a pen.” 「これは(1本の)ペンです。」

この本の中では、基礎中の基礎ともいえる中学レベルの単語について、簡潔かつ十分に説明してくれています。

我々日本語話者が英語学習を開始した際に戸惑う言葉には、下のようにいくつか典型的なものがあります。

 

  1. そもそも日本語にはない単語
  2. 日本語にも相当する単語はあるが、同じように使わない。
  3. 日本語では区別しない言葉

 

1.のそもそも日本にない言葉は、とにかく覚えましょうということなので、仕方がないとして、困るのが2.と3.です。

2.の一番簡単な例としてあげられるのが、”a” や “the”などの冠詞ですね。冠詞の場合、”a” なら「1つの~」という用法がありまし、”the”なら「その~」という用法があります。しかし、これは日本語としては特殊な状況でしか使わないものです。

よく言われるのが ”This is a pen.” という例文で出てくる “a” ですが、我々日本人は、1本手にしたペンを指して相手にそのことを説明する際に、日本語では「これは1本のペンです。」とは言わず、「これはペンです。」というでしょう、という話ですね。多くの英語初学者が、何か数えられるモノやヒトを指す場合に、いちいち、単位が1なのか2以上なのかを言い分ける必要があることに、戸惑うわけです。

ちなみに、このあまりに有名な例文 ”This is a pen.” ですが、昔から日本の英語教育を批判する際に常套句のように言われてきた笑い話で、「『これはペンです』なんて、こんなの見ればわかるんだから、英語教育の初めにもってくるにしては、かなり不適切な例文ではないでしょうか」といった意見をしばしば目にしてきましたが、私は割と昔からその考えには賛成できませんでした。

それには、相当にハードな理由と、比較的ソフトな理由があります。

まず、ハードな理由から。

“a” がという不定冠詞が入った例文に触れることで、英語初学者は、

「おお、このように英語話者は、対象物や対象者が、1つなのかどうかを我々とは全く違うレベルで注目するのだなぁ」

とこちらとあちらで、同じ人間でも世界のとらえ方が違うのだという大変重要な事実を知ることになるのです。

無論、中学一年生(今は小学生ですね)の時点で、上のような高い抽象度で整理して受け止められる方はほぼ皆無に近いでしょう。

しかし、この例文によって、または不定冠詞という存在を教えられることによって我々は、外国語というものは、単に単語が違うだけではなく、言葉のルールが、随分ベーシックなレベルで異なるのだなぁ、ということを強烈に体感することになるわけです。

他方で、このようなショックが、英語や外国語一般を嫌いになるような学習者を増やしている、という論議も目にしたことがありますが、それを言い出せば、数学でもなんでも、およそ学習というものは、現在の自分の中にないものを取り入れていく作業なのですから、ナンセンスだと思っています。

たとえば、私自身中学生になって、数式が二次元グラフで表現できるということを習ったときに、一体全体なんのことかわからず、かなりショックを受けたことを覚えています。もちろん、そういったことが原因で数学嫌いにはなりましたが、必要に迫られて頑張って勉強したものです。

私は逆に、長じるにつれてこの ”This is a pen.” という例文を採用した先達に、より一層共感を覚えるようになってきました。

英語話者は、目の前にいる話し手に対して、双方が今目にしている物体は、「1つの」ペンである、と言い添えるという事実を、英語初学者が実際に、それを学んでいる際にその手に実際に持っている最も身近なモノ(これ以上身近で常時身近なものはあり得ないですね)を使って理解させてくれているのです。

そしてここには、「1つの」という対概念としての「複数の」という考え方が既に内在していることを教えています。集合論ですね。

また、これは彼らが、対象者や対象物が「数えられる」かどうか、について我々よりも敏感であるという人生観も分かります。

具体的に言えば、「ものを数えて、交換にの際の公平性を確保」することに関して、もしかしたら我々よりも敏感に生きてきたのかもしれないことが推察されます。それにもなにか理由があるはずです。

我々だって、物の数は数えて生きてきました。しかし、もしかしたら、何事も白黒つけないように気を配り、あいまいなままにしておくことに神経を使ってきた我々のことですから、どこになにかがあることを伝える際に、わざわざ単数か複数かを言わないようにしてきたのかもしれません。

 

「これはペンです」「れペンなんだぁ。おもしろ~い」

次にソフトな理由を。

これは「そんなもん、ペンだってことぐらい見ればわかるでしょ」という説への反駁です。たとえばあるテーマパークにお出かけして、そこキャラクターグッズを買ってきた方がいるとします。後日、お友達にそれを渡すところを想像して下さい。

そのグッズは、キャラクターのデザインを活かすことを主眼とするあまり、実際どんなジャンヌのグッズなのかわからない、という場合があります。そして、そんなときの会話は必然的にこうなります。

「ありがとう。これ何?」「あぁ、これ、ペンよ」。

“Thank you! But what’s this? “

“Uh, this is a pen.”

嘘のような話ですが、これは私自身が日本語の会話で似たような体験をした実話です。実際にそれは、かなり形の変わったペンでした。その時はたと思いました。「これこそ ”This is a pen.” だなぁ」と。

実際私たちシニア層が学生の頃、”This is a pen” と言われないとそれがなんだかわからないような、変わった形のペンはありませんでしたので、「見ればわかる」式の批判も相応の説得力がありましたが、時代は40年以上経過し、今では、言われないと、それがペンだとわからない形状のペンは少なくありません。

デンマークの雑貨店「フライングタイガー」のペンなんて、「これはペンです」っていってもらわないと、一体なんなのか判然としないものがありますよね。

実物を見て見ましょう。↓ロリポップキャンディーを模したボールペンなんて典型的なものです。まぁ、こういうことです。

 

デザイナーが一所懸命考えて、「ペンに見えないペン」「●●に見えない●●」ってのを開発しているわけですから。

そしてそのような変形ペンこそが、”a” という不定冠詞の指すところの根源的な意味、「同じ類の中で多様な形が存在するわけですが、これはその1種です」という点を非常にうまく表現している文例だとも思いました。

「これも(1つの)ペンなのか~」と思ったわけです。

というわけで、2の説明だけでかなりの長文になったので、3は次の投稿に。

 

現在、大西泰斗先生は、同胞のクリス・マクベイ氏と、秋乃ローザさんの3人で、NHKのラジオ英会話講師を担当しています。

 

 
また、大西泰斗先生の2020/4現在の最新刊「英文法をこわす」も力作です。
大西ファンの方は、是非ゲットですよ。
 
 
大西先生の「今の」頭の中をのぞかせてもらえます。

 

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ちなみにいろいろあって、子供さんが不登校になっても、↓こういった本をしっかりと読みこむと、無根拠な不安がなくなり、では次にどうしようか、と考える余裕が出てきます。うちの新中2生の娘は、コロナが終息するかどうかにかかわらず、2年生になっても登校する気がないようです。

私も大変参考になりました。


 


Posted by yaozo