ぼくのおじさん3

人生100歳時代

さて、そうこう言っているうちに、どんな理由があったのか知りませんが、東京暮らしをやめたおじさんは、我が地元の県庁所在地である大きな町に帰ってくることになりました、という話でした。

 

ぼくのおじさんの故郷に戻る

小京都とも呼ばれるその町は、なかなかよそ者には温かいとは言えませんが、一度住み始めるとなにかとちょうど良いらしく、とてもいい住みよい街のようです。

で、そのおじさんは、Uターン早々、街のヒップな連中の仲間となり、うまいこと自分の居場所を見つけたようでした。

加えて、町医者かなにかの裕福な家庭のお嬢さんをつかまえて猛スピードで結婚し、その新妻の親に立てさせた3階建ての一軒家に住み始めました。

お嫁さんの実家はよほどはぶりがいいらしく、そのおばさん(おじさんの奥さん)の親はその一戸建てを建てて娘(と娘婿)に住まわせるのみならず、その家のすぐ隣に小ぶりな喫茶店を一軒作ってあげて、娘に喫茶店を経営させることにしました。

今までの悪評をちゃらにできるくらいにうまいことしたことを自慢したいとみえて、そのおじさんは、私と兄が小学校も終わろうとする夏休みに、一度その家に遊びに来るよう誘ってきました。

母は、不肖の弟がとんだ逆玉に乗ったことが嬉しくないわけもなく、それならあんたら2人でいってらっしゃい、と遊びに行かせてくれました。

 

ローカル線に乗って2時間くらいかかる大都会に、片田舎の小学生の兄弟2人組がどうやってその家までたどり着いたのでしょうか、電車なんか子供だけで乗ったことなんてありませんでしたから、全く記憶にありません。

きっと駅まで迎えに来てくれたに違いないのですが、よく駅の待ち合わせ場所で合流できたものです。我々兄弟はそれくらい田舎者だったのです。

 

小さいころの記憶はとかく忘れがちな私ですが、この小旅行のことは断片的に覚えています。1泊2日でおじさんの家に泊まりに来たその夜、新妻の作ってくれたおいしい晩御飯(おいしいすき焼きだったように思います)もそこそこに、とにかく2階に上がれと、おじさんは2階の自分専用の部屋(彼はもったいぶって「書斎」などと言っていましたが)に2人を案内してくれました。

 

ロックとの遭遇

部屋に入るやいなや、そこには、これまで見たこともない高級そうなステレオセットがどんと構えていました。アンプやプレイヤーのギラギラひかる銀色の筐体、茶色のカバーに覆われた小学生2人分より重そうな木製のスピーカー。とにかくその圧倒的な存在感に度肝を抜かれたことを覚えています。

で、そのおじさんは、「よ~し、それじゃ今最先端のロックを聞かせてやる。ありがたく聞くように」などといって、1枚のLPレコードを取り出しました。

 

それがキング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」でした。

 

ご存知の方も多いかもしれませんが、このアルバムのLPは、観音開き方式になっていて、表面には有名な、恐怖にひきつる男の顔、裏面にはまた違う丸顔の気味悪く笑う怖い人のイラストが描かれており、どちらも小学生が見ると、「怖い」としか見えない絵でした。

 

おじさんは、その表ジャケットを自分の顔の横にくっつけて、「ほら、似てるだろう」とあの恐怖にひきつる男の顔を顔面模写して、我々甥っ子を怖がらせるのです。

散々脅かした後、ターンテーブルに乗ったLPから「21世紀の精神異常者(1969)」が大音量で流されました。

 

桜田淳子とか尾崎紀世彦しか聞いたことのない耳には、とても異質な音の塊が、しかも大音量で流れてきて、生物としての恐怖のようなものを覚えました。

ロバート・フリップのギターは聞いたことがないくらいディストーションがかかっており、もはやなんの楽器の音なのか識別できず、グレッグ・レイクのボーカルもファズを通して歪んでおり、こりゃただごとではないな、ということだけはわかりました。

全部が歪んだ音で大音量の塊として、小学生のデリケートでナイーブな耳に飛び込んできたわけです。

今思うと、よく近所から苦情がこなかったなぁ、とおもうぐらいの音量でした。

 

おじさんはその大音量に負けずに、日本版付属の歌詞カードの訳詞を見ながら、グレッグ・レイクの歌に合わせて、今彼がなにを歌っているのか大声で説明するのです。

ピート・シンフィールドが書いたそのシュールで過激な歌詞は、どう考えても小学生の耳に入れない方が良いような内容です。

それをわかっていて、わざと聞かせ、怖がらせて喜んでいるわけです。とんだ悪人ですね。

何曲かとびとびで聞かせた後、「クリムゾン・キングの宮殿」は終わりました。

 

そしてその後、おじさんはレコード棚から、レッド・ツェッペリンの「レッド・ツェッペリンⅢ(1970)」を取り出します。

 

CDしか手に取ったことのない人はわからないと思いますが、このジャケットはひどく凝っていて、ジャケット表面にはところどころに穴が開いており、中にもう1枚丸形のジャケットが入っていて、中心をビスが留まっているので、クルクル回すと切り抜き部分の絵が変わる、という趣向のものでした。



まずは、ジャケットの面白さをひとくさり自慢した後に、LPをターンテーブルに乗せて針を落とします。

 

1曲目の「移民の歌」が流れてくるのですが、キング・クリムゾンの時よりも音量を上げるもんですから、例のリズムが本当におなかに響き、彼らの代表曲のひとつを小学生にして、音響的・身体的に感じることとなりました。

 

もちろん、おじさんによる歌詞解説もついてます。この歌は、歌詞自体は怖くないのですが、なぜかおじさんはバイキングにでもなったかのように、怖そうに話すのです。

とにかく、ひ弱そうな甥っ子2人を脅かして、そのリアクションを見るのが好きで好きでたまらなかったようです。

 

私が、なんの歪曲もなしに直に触れた初めての本当のロック音楽が、この2つのバンドによるものだったのです。

今考えるとすばらしい選曲です。

 

高校生になったころには、そんな思い出を忘れていながらも、この2つのバンドに特に惹かれていったわけですから、潜在意識の力というものは実に恐ろしいものだと思います。

今でもこの2つの英国バンドは、私のヒーローであり続けているわけです。

大好きなビートルズも、飽きて聞かなくなることはありますが、この2つのバンドはまず私を飽きさせることがありません。

 

この2つのバンドは、プログレッシブ・ロックとハード・ロック(ヘビー・メタル)の始祖となり、世界中に多くのフォロワー・バンドを生み出し続けているのです。それだけで人類への貢献の大きさが推し量られます。

 

井上陽水への招待状

小学生も終わろうとするある夏の帰省時期のこと、おじさんはまた我が家にやってきました。

「おまえんち、レコードプレイヤーあるか」と聞かれ、ポータブルの安物ならあるけど、と答えると、「よ~し、今はやりのレコードをおじさんが持ってきたから、今から聞かせてやっる」といって、2人で私の部屋に入っていきました。

 

とりだしたのは、ポリドール版のシングルレコード「心もよう/帰れない二人(1973)」です。

 

B面の「帰れない二人」がどれくらい素晴らしい曲か、ひとくさり講釈を垂れた後、満足げに言います。「このレコード、気に入っただろ。やるわ」。



かくして、私の数少ないレコードコレクションの数枚目として、井上陽水の未曾有の名曲「帰れない二人」が加わったわけです。

 

中学生になるとそのころは、ギターを弾けるのがかっこいい、という時代だったので、私もやおら音楽室にあるクラシックギターを使い、書店で買ったばかりの歌本を手に、練習をしました。

ある土曜日の音楽室の窓際に座って、セミが鳴く昼過ぎから、西日が部屋に差し込むまでの間、半日練習して1曲マスターしました。井上陽水の「夢の中へ(1973)」です。

G→Em→C→Dという4つの簡単な循環コードを覚えるだけで、自分が弾き語りができる人に「変身した」時の嬉しさは、40年以上経った今も忘れられません。

最後のスクールバスが来る時間まで、この1曲を飽かずに弾いていました。左指は随分赤く腫れあがっていましたが、そんなの全く気にならないほど高揚していました。

 

私には、そのおじさんからの事前の「教育」があったので、そのギターブーム、ニューミュージックブームに、すんなり乗ることができました。

その後、私は学園祭で、ギターの弾き語りをするのが常になったわけです。1970年代の日本全国どこでも聞かれたような話ですね。

まとめると、このやんちゃなおじさんは、我々片田舎に住む兄弟に対して、最新の日本の文化事情の(かけらの)ようなものを届ける役割を果たしてくれたのです。

 

さて、そんな貴重なきっかけを提供してくれたおじさんですが、彼はその後、まさに急な坂道を転げ落ちるように残念な人生を歩んでいくことになるのです。

まず、資産家の新妻と数年で離婚することになります。

当然、市内の一戸建てからかばん1つで追い出されたことだと思います。

その後は、もとよりなにをして生活していたかわからないところへ持ってきて、警察沙汰を起こすようになっていきます。

 

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Posted by yaozo