テデスキ・トラックス・バンドのライブを見てきました。2019.06.15
yaozoです。
以前の投稿にも書いたのですが、私が社会人デビューしたころは80年代前半なので、仕事で忙しいのに加えて、同時代の音楽がなかなか楽しめませんでした。
同時代ロックへの違和感
もちろん背に腹は代えられないので、そこそこ楽しんでいました。マイケル・ジャクソンは彼の音楽的キャリアのピークにあったわけですし、スティービー・ワンダー、ホール&オーツといったアーティストは高いレベルの音楽を提供してくれていました。「USA for Africa – We are the world」に出てくるアーティストを見れば大体誰が活躍していたかわかります。
https://www.youtube.com/watch?v=M9BNoNFKCBI
ブリティッシュ・ロックで言えば、↑の元ネタとなった「Do they know it’s Christmas(1984)」を見ればほぼメジャーアーティストは全員出ています。
また、最近は映画『ボヘミアン・ラプソディー』で注目を集めている「ライブエイド(1985)」は、フジテレビの生放送を、夜も寝ないで見ました。
しかし、こういったものはあくまでも相対的な感覚なので、60年代、70年代の音楽を後追いで「学習」して聞いていた若者の1人としては、80年代以降のロックはどうしても、「本物のロックのコピー&大量生産」という感じがぬぐえませんでした。
サザン・ロックとの出会い
そのころ年上の親切な友人から、スティーリー・ダン、ドゥービー・ブラザースといった、アメリカの「大人っぽい」音楽を教えてもらいました。ブリティッシュ・ロックとそれにインスパイアされたアメリカンロックを聴いて育った若者にとって、最初はとっつきにくかった記憶があります。しかし聞き込めば聞き込むほどその魅力が体でわかるようになってきました。
スティーリー・ダンは、その後私に、今日的ジャズ音楽への扉を開いてくれましたし、ドゥービーはサザン・ロックの扉を開いてくれました。
「サザン・ロック」という言葉自体は、10代のころから目にしていました。これは「サザンオールスターズ」のデビューしたての頃のインタビュー記事で知ったと記憶しています。桑田佳祐が影響を受けたアーティスト欄には大抵「リトル・フィート」の名があがっており、これをたびたび目にしていたと思います。ただそのころに試しに聴いてみましたが、ボーカリストの歌唱法が似てるなぁ、くらいで全くピンときませんでした。このボーカルは後に私が大ファンになるローウェル・ジョージなわけですが、その頃には全くなんとも思いませんでした。
でドゥービーブラザースが好きになってきたので、似た様な音楽を探求するようになったわけです。その過程で、こういった音楽を通称「サザン・ロック」というのだと知ることになります。それで、高校生時代に知ったあのサザン・ロックがこのサザン・ロックなのか、点と点がつながったわけです。
詳しくない方用に、サザン・ロックの概要をwikiを参考に書いておきますと、「サザン」というのはどこの「南の方」なのかというと、米国の南部を指します。カントリー、ブギー、ブルース、R&Bといった黒人の音楽をルーツに持つ、米国南部に特徴的な泥くさいトーンを前面に押し出したロック音楽のことをいうわけです。ロックですから、白人が主体となりますが、ドゥービーのように白人と黒人混合バンドは珍しくありません。wikiでは「メンバーの多くが旧アメリカ南部連邦11州出身である。」と書いてあります。「旧アメリカ南部連邦11州」の話は、サザン・ロックにとどまらず、アメリカの歴史、政治、カルチャーを語る際に基幹となるものの1つなのですが、ここでは割愛します。まぁ、とりあえず、米国の南のエリアということで話を進めます。
代表的サザン・ロック
70年代以降の代表的なサザン・ロックのミュージシャンは以下があげられます。
- オールマン・ブラザーズ・バンド
- チャーリー・ダニエルズ・バンド
- ジョニー・ウィンター(日比谷野音で見れました)
- スティービー・レイ・ヴォーン
- マーシャル・タッカー・バンド
- レナードスキナード
- ZZトップ
- 38スペシャル
また、南部出身ではないものの、一般的にサザン・ロック系統だと考えられているミュージシャンもいます。
- デラニー&ボニー
- ザ・バンド
- ジョー・コッカー
- ライ・クーダー
- リトル・フィート
- レオン・ラッセル(中野サンプラザホールで見れました)
- CCR
上のミュージシャンは、ZZトップを除けば、解散してしまったバンドやオリジナルメンバーではなくなったバンドがほとんどです。また、ソロ・アーティストの場合は老齢のため亡くなった方や、すでに第一線とは言えなくなった方が含まれます。
ただし、広義の意味で、アメリカ南部の音楽に影響を受けていない大衆音楽はもはや地球上に存在しない、といっても過言ではないので、音楽ファンの間では↑のミュージシャンぐらいにとどめています。
とはいえ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン等はイギリス人ながら、特にブルースやR&Bを土台にした音楽を作り続けてきたのでこの仲間に入れてもいいかと思います。
あまり話を広げすぎると、かのエルヴィス・プレスリーもメンフィス・テネシーの出身であり、黒人音楽を白人のカントリーとミックスしてロックン・ロールを生み出したわけですが、サザン・ロックとは言いませんので、あくまでも60年代以降にはじまった特定のロックのカテゴリーと言うことで理解されています。
モダン・サザン・ロックのスター・ミュージシャン
で、90年代から現在に至る「新世代感」のあるサザン・ロックの代表的なバンドが、先週6/15(土)に東京ドームシティホールで見てきた「テデスキ・トラックス・バンド」なわけです。
このバンドの前身は「デレク・トラックス・バンド」と言います。リード・ギタリストである、デレク・トラックスのバンドなのですが、このデレク・トラックスはオールマン・ブラザーズ・バンドのドラマーの1人(このバンドは2ドラムです)である、ブッチ・トラックスの甥にあたります。
ファーストネームの「デレク」は、デュアン・オールマンが参加したクラプトンのバンド「デレク・アンド・ザ・ドミノス」から取られています。長じてから、当のエリック・クラプトンのツアーに参加するわけですのでなにやら強い縁を感じますね。ちなみに、弟はデュアン・トラックスという名なので、兄弟そろってオールマン・ブラザーズ・バンドゆかりの名前をもらっています。
そんなデレク・トラックスは、現代のスター・ギタリストの1人で、Gibson SGをアンプにダイレクトにつないで、スライドギターを指で弾くという、今日珍しいスタイルで、世界中のロックファンから愛されているわけです。
ゆかりのあるオールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマン等に影響を受けつつも、インド音楽やジャズの要素も取り入れているユニークなギタリストです。
小さいころからオープンEのチューニングで弾いてきたので、ノーマルチューニングのギターは弾けない、と言ってました。
まずは、「デレク・トラックス・バンド(1997)」で(18歳の若さで)デビューアルバムをリリース。デビュー直後からロックファンの注目を集め、ジョン・メイヤー、ジョン・フルシアンテとともに現代の3大ギタリストの1人と数えられるようになりました。
一時期、オールマン・ブラザーズ・バンドの正式メンバーにも迎えられています。同バンドのDVDで古今の名曲を弾く彼の姿が堪能できます。
2001年には、米国のブルースシンガー、スーザン・テデスキと結婚。
その後、それぞれのバンドを合体させたような臨時グループ「Soul Stew Revival」で、数々のライブに出演していました。
その後2010年には、パーマネントなバンドとして「テデスキ・トラックス・バンド」を結成し現在に至る、というわけです。
デレク・トラックスは、例の「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」では16位と好位置につけています。
ホワイトハウスのテデスキ&トラックス
オバマ大統領時代の2016年には、ホワイトハウスに招かれて、夫婦2人+ウォーレン・ヘイズ(当時オールマン・ブラザーズ・バンド)の3人でプレイしています。
その後はイベント出演者全員による「ホワイトハウス・ブルーズ・バンド」の一員として、B.B.Kingやジェフ・ベック、ミック・ジャガーといった大物と共に、「スイートホーム・シカゴ」を演奏します。このステージは、ミック・ジャガーからマイクを渡されたオバマ大統領までが見事な歌唱を披露しています。
テデスキ・トラックス・バンド名義でも数々の賞を受けています。
最近では、アルバム「Let me get by」が2017年グラミーの「年間ベスト・ブルース・アルバム」を受賞しています。見てない人は是非。
テデスキ・トラックス・バンドの名演としては、極々初期のものを紹介してみたいと思います。
ファーストアルバム「Revelator」に収録された「Midnight in Harlem」です。最近は普通のSGを弾いているデレク・トラックスが、ピックガードのないデレク・トラックス・モデルのSGを弾いています。ミーハーな私は、彼のシグネチャー・モデルを入手して、スライドギター専用にして数年弾いて楽しんでました。売ってしまいもう手元にはありませんが良いギターです。また、スーザン・テデスキもトレードマークの、他で見たことのないグリーンのテレキャスターを弾いている動画です。
曲も、冒頭は静かに始まり、徐々に盛り上がり、デレク・トラックスのギター・ソロでクライマックスに至る、というこのバンドの典型的な楽曲構成になっています。
2019年東京ドームシティホールのライブ
デレク・トラックスのライブ演奏を聴いたのはこれで2回目になります。
前回は、ドゥ―ビー・ブラザーズの日本公演の前座として、2009年9月26日の東京国際フォーラムでした。ジョイントコンサートと銘打たれていましたが、実質的には前座だったので、メインアクトのドゥ―ビーと比べて音量が随分低く抑えられていました。でも、私にはかえって丁度よかったです。いい音で楽しめました。しかし、もう10年も前になるわけですね。
さて先日の日本公演は、私が行った日6/15(土)のアンコール最終曲の映像が、早速YouTubeにアップされていました。私は3Fレベルの最後列だったのですが、この角度から見ると2Fレベルの方が撮影したようですね。バンド編成が一望できますし、音もクリアでとても良い動画です。どうやったらこんないい音で採れるんでしょう。会場では結構音圧が高くで割れてましたので、生よりよほど良い音です。
バンド編成は、
ドラム×2(オールマン・ブラザーズ・バンドみたい)
ベース、キーボード
サックス、トランペット、トロンボーン
コーラス×3(うち1名は、デレク・トラックス・バンド時代のボーカリスト)
デレク・トラックス、スーザン・テデスキ
という12名編成でした。
デレク・トラックスの素晴らしいギターは言うに及ばず、スーザン・テデスキのアンプ直のレスポールのソロや、キーボード、コーラス隊、ホーン・セクション3本のソロが所々に散りばめられて楽しませてくれました。
個人的には、↑の動画(7:07あたりから)で聞けるトロンボーン奏者(女性)のソロが一番感激し、リアルに鳥肌が立ちました。実にかっこよかった。今見直してもまた鳥肌が立ちます。
ライブ全体の最終曲なので、スーザンはピックを何枚も客に投げてましたし、ドラマーはスティック1本投げてました。
ちなみに、この動画もそうですが、最近は外国のアーティストのライブでは撮影を厳しく規制していないですね。驚きました。主催のウドーの張り紙では、↓のように、「ライトは邪魔になるからやめてね。それとあんまり画質の良いデバイスでの撮影は遠慮してね」ぐらいの感じで、撮影自体はOKなさ前提になっているようです。もちろん、アーティスト毎に条件が異なるのでしょうけれど、隔世の感があります。グレイトフル・デッドのおかげでしょうか。
日本人アーティストの中にも、「撮ってシェアしても別に構いませんよ。これなかった人も見れますし」というスタンスの人もいるようですね。時代は変わりますね。だって昔なら、持ち物検査してビデオカメラがあったら一時預かりします、でなんとか対応できましたが、今ではスマホで動画が撮影できるのですから撮影可能な機材の持ち込み規制は事実上無理ですからね。
私も1枚だけ写真を撮ってみました。あんまりよく見えませんけどね。
その後は、渋谷で学生時代のプチ同窓会があったので合流し、二次会のカラオケまでやったので、出不精の私としては、近年まれにみるアクティブな土曜日となりました。あぁ、楽しかった。
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