カフェのBGMって耳障りじゃないですか?
yaozoです。
オンもオフも出不精なので、あまり多くありませんが、ちょっとした時間があいたときに、カフェに立ち寄ることがあります。
そんなとき、どうしても気になってしまうのが、ここで流れている音楽です。
隆盛を誇るカフェのチェーンは3つや4つじゃきかないでしょうし、カフェ自体の数で言ったら、国内でどれだけあるでしょう。
なのに、大体かかっている音楽は、いまや「カフェ・ミュージック」などと総称されるような、「ボサノバ」「スムーズ・ジャズ」といった感じの音楽で占拠されています。私などはこの手の音楽がどんどん耳障りになってきており、カフェで一休みするときでも、一人なら、「ノイズ」キャンセリングヘッドフォンで、自分の好きな音楽をspotifyで聞いています。
いつからですかね、ほんとに。気づいたときには、日本国中がそうだった、みたいな感じです。恐ろしい。
イージーリスニング・ミュージック
この手の「可もなく不可もなく」といった万人受けする音楽の椅子には、私の若かったころは「イージーリスニング」と呼ばれるジャンルが座っていたと記憶しています。
つまり「ポール・モーリア楽団」に代表されるような音楽ですね。
今では、同楽団の曲「オリーブの首飾り」がかかるとマジシャンが出てくる、といった強制連想が働くぐらいで、「純喫茶」やおしゃれカフェなどで耳にすることは全くありません
しかし、ある一時期の我が国において、喫茶店ではこの種の音楽ばかりかかっていたように思います。もちろん、有線でニューミュージックやら歌謡曲やらをかける店もあったと思いますが、イージーリスニングの人気は頭一つ抜けていたと思います。
なにしろ「イージー」にリスニングできるっていうことですから、「イージー⇒リラックス⇒チルアウト」な音楽ということで、喫茶店にはぴったりなわけです。
私の場合は、ロック音楽以外、はなからバカにしてた若いころでしたので、なんてダサいんだろうと思って聞く気にもなりませんでした。
しかし、年を取ってからなんの拍子だったか忘れましたが耳にしたときに、もうすでにすたれてしまって長いジャンルだったので、あまりバイアスがかからずに素直に耳を傾けてみると、なんだかよくできた音楽だなぁ、と発見がありました。そりゃ、ポール・モーリアにせよ、レーモン・ルフェーブルにせよ、しっかりとした音楽教育を受けた一流のミュージシャンなわけですから、当然のことながらよくできた音楽作品ばかりなわけですね。
※しかし、今では考えられないことですが、戦後数十年の我が国の音楽は、今のように英語圏の音楽以外、シャンソン、カンツォーネ、ロシア民謡と様々な文化圏の音楽を楽しんでいたわけで、カルチュラル・ダイバーシティは今よりはるかにリッチだったように思います。どの国もそうなんでしょうけどね。
ともあれ、そういう出会いもあり、びっくりしてセットCDを買い込んだりして、聞いたものです。
「オリーブの首飾り(手品の曲)」もいいですし、他にも「エーゲ海の真珠」なんて、1曲聴き終わったころにはなんだか映画1本みちゃったような錯覚すらおぼえます。
私の買ったのがこれ↓でした。タイトルを見ると映画音楽がかなり多く含まれており、「映画音楽」およびその別アレンジバージョン、というのがとてもよく聞かれたジャンルだったと思います。
どれを聞いても、よくできた音楽ですね。
たとえば、ビーチボーイズの『ペットサウンズ(1966)』や、まぼろしのアルバムだった『スマイル(1967頃のブートレッグ)』やヴァン・ダイク・パークスのプロデュースによるブライアン・ウィルソンの『オレンジ・クレイ・アート(1995)』などを聴いた耳で、再度聴き直すと、どれも優れたアルチザン魂によって製作された楽曲群であることがわかります。
まぁ、そんなイージーリスニングも、主要なファンの高齢化なのか、単に大衆から飽きられただけなのかはさておき、どこでもきかれなくなって久しいわけです。
で、当時そんなイージーリスニングが果たしていた役割を、今現在2020年近辺において果たしているのが、このカフェミュージックではないか、と思うわけです。
大体「ボサノバ」と「スムーズジャズ」で出来上がっているこのカフェミュージックが、ちょうど若いころイージーリスニングが耳障りだったのと同じように、鬱陶しく感じるようになってきています。
みなさん大丈夫なんですかね。こういうのばっかり聞かされて。なんなら、無音のカフェの方が良くないですか。どうせみんなイアフォンやヘッドフォン持ち歩いてるんですから。
好きな音楽を聴いて、「イージー」な時間を過ごしたくないでしょうかね。
私は、ド定番のBOSE QC35を使ってます。大体、通勤時や仕事での外出移動中はほぼずっとこれつけてますけどね。
急に電話がかかってきても、このまま普通に電話にでれちゃうので全く付け外しの必要なしです。
ちなみに、ボタン1つでAlexaに質問できるので、思い立った時に「Alexa今夜の天気は?」などといった定型的な情報収集にも便利に使えます。
私はAndroid派なので、試したことはありませんが、Siriにも対応しているとのことです。
この前は、BOSEのSoundLink2をずっと愛用していました。
これはいまでは、息子にお下がりしたので、彼がノートPCで、YouTubeの「まいぜんシスターズ」の動画を見ながらマインクラフトをやるときに使われています。
これは、「アラウンドイアー型」なので、↑の「QC35」のような「オーバーイアー型」ヘッドフォンのように耳全体を覆うようなタイプではありません。
好き好きは分かれるかと思いますが、最近の私は、上のようなカフェ事情から、遮音性の高い「オーバーイアー型」が気に入っています。
息子にお下がりする時には、ちょっとよたっていたイアーパッドを交換してあげました。
ちなみに、スターバックスコーヒーは、心地よい空間づくりのために、選曲に命かけてるし、社外秘だよ、って記事がありましたので、↓に貼っておきます。
人間の脳は、全くの無音より70dbくらいの音があった方が集中する、といったちょっとしたインサイトも紹介されています。
https://monstar.ch/omiselab/store/starbucks-bgm/
良い記事です。
決してボサノバが嫌いなわけではない
で何が言いたいかというと、↑のようにぼやいているからといって「ボサノバ」や「スムーズジャズ」というジャンルの音楽自体が嫌いなわけではなく、どちらかというと2つとも好きなジャンルです、ってことです。
好きだからこそ、このようなジャンルを「軽々に扱っている」ように思えるカフェミュージックが耳障りなわけです。
ボサノバで言うなら、『ゲッツ/ジルベルト』なんて大好きなアルバムです。
実際、ジョアン・ジルベルトの2004年の初来日(といっても相当のおじいさんでしたね、すでに)コンサートに、大枚はたいて東京フォーラムに足を運んでいます。
たった一人で、ガットギター1本で2時間弱歌ってくれました。
2006年に再来日した際の映像がコンテンツ化されてました。
5,000人の観衆相手に、一人でギター一本持って相手してくれました。
生まれて初めて、場内アナウンスで「アーチストの都合で、ただ今ホテルを出発しておりません。開演までいましばらくおまちください」「アーチストがただ今ホテルを出発しましたのでしばらくお待ちください」「アーチストが会場に到着しましたので、しばらくお待ちください」などと、都合1~2時間くらい(?)、開演時間が遅れたコンサートでした。
びっくりしました。もちろん、誰も文句言わず座っているわけです。
なにせ、伝説的瞬間ですからね。帰るわけありません。なんだか不思議な不思議な体験でした。
世紀の傑作ボサノバアルバム『Domingo』
そのレジェンド=ジョアン・ジルベルトもカバーした曲に『コラサォン・ヴァガヴンド』という傑作がありますが、このオリジナルは、カエターノ・ヴェローオとがガル・コスタというブラジルのアーチストのコラボレーションでデビューした名作『Domingo(1967)』に収録されています。
これは、私の大好きなボサノバのアルバムですが、奇跡的に脱力的で魔法のようなアルバムです。
タイトルの「domingo」は「日曜日」という意味なのですが、その名の通り、休日の午後早めの時間帯などに聴くと絶妙なアルバムです。
とはいえこのアルバム、なぜだか聴くと、寂しいというか、悲しいというか、なぜか胸がきゅーんと締め付けられます。
決して、聴き手に楽に聴かせることのない、なんだか不思議な音楽です。
個人的には、たとえば村上春樹の短編集『中国行きのスローボート』を読むような感覚です。優れた芸術に触れる経験をしておりながら、決して楽しいわけではなく、読後すっきりもしない、といった感じと言ったら近いかもしれません。
カエターノ・ヴェローゾとガル・コスタは、デビュー後、当時のブラジルの軍事政権によって、その反政府主義活動にかどより投獄されています。今ではとても信じられない話ですが。その後彼らは、ロンドンに亡命したとのこと。1972年に帰国してからも精力的な音楽活動を続け、ジョアン・ジルベルトの後継者として、ブラジルを代表するアーティストとなっているようです。
キャリアが長いこともあり、あまりにも多様な音楽スタイルで活動しているため、どの年代のものも好んで聴くことはありませんが、やはり偉大なアーティストです。個人的には、デビュー・アルバムの『Domingo』の影響もあってか、女性歌手とのデュエットしているときの彼のパフォーマンスがやっぱり好きですね。女性の声と相性がいいように感じます。
で、そのデビューアルバムの曲は、今でもこんな↓感じで、若いミュージシャンにカバーされたりしています。
話をやっと戻しますが、カフェでボサノバやスムーズジャズが流れているのは気に障りますが、音楽ジャンル自体が嫌いなわけではなく、またボーカルがあるかないかで言っているわけではありません。
私にとってはボサノバも、「ちゃんと聞いて楽しみたい」音楽であって、「なんとなく、ゆったりしたいときに、なんでもいいから邪魔にならない音楽」などではないということです。
それに、そもそもそういう「イージー」になれる音楽というのは、人によって随分異なるものでしょうから、カフェにいったら判でついたように同系統の音楽が流れているのは、理屈にあわないんじゃないんでしょうか、ってのが私の主張なわけです。
そういう意味で「環境音楽」といったジャンルを(おそらく自身の意に反して)作ることとなったブライアン・イーノの音楽だって、彼の意図に反して、「誰にも邪魔にならない」音楽ではないでしょう。
こういう↓音楽が気持ち悪い、性に合わないって人、決して多くないと思います。
私自身は、1982年(おそらく)に池袋のPARCOのレコード売り場で、「カセットテープのフォーマット」で買った『Ambient 1: Music for Airports+Ambient 2(1979): The Plateaux of Mirror(1981)』のカップリングアルバムを聞いて以来、もうすぐ40年になろうかというくらいの筋金入りのファンなのですがね。
ではまた。
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