環境音楽についての思い出
yaozoです。
今では少し音楽が好きな方だと、誰でも一度は聴いたことがある「環境音楽」「アンビエント・ミュージック」。
すっかり市民権を得て、「chill out」的なライフスタイルなどとも相まって極めてど真ん中の音楽ジャンルとなっていますね。
別になにかえばりたいわけでもなんでもなりですが、このジャンルは私の青年期から壮年期にかけた、長らく愛聴してきた分野のひとつです。
眠るための方法論の模索
以前にも書きましたように、とにかく、生来の睡眠ベタが状況してひどくなりましたが、睡眠導入剤なんてなかなか処方してもらえる時代ではなかったので、眠るためには、①酒を浴びて泥酔する、②瞑想する、④ヨガや大極拳をやる、④音楽を聴く、といったことが主な選択肢でした。
そのうち①は、長らくやりすぎて、重度の内臓障害を患い断酒するはめになりましたし、②はなかなか性に合いませんでしたし、③はいくつかのスクールに通いましたがせっかちなせいで、すぐにやめてしましました。特に80年代初頭にヨガや太極拳をやる、とうのは今の時代では考えられないくらい、マイナーで危険なにおいのする秘術的なものだったので、その点も長く続けられなかった原因です。
ということで、選択肢は(①をやりながら)②を追求する、ということになりました。
大学時代、Brian Enoの音楽と出会う
大学入学のために上京した、生意気盛り、遊びたい盛り、勉強しだい盛りの若者としては、池袋パルコCDショップ(現在のタワーレコードじゃないと記憶してますが)と、六本木の「wave」という今は無きCDショップで、流行の最先端の音楽を入手してはひたすら聴きまくる、というのが常でした。
で、クラシックのセリーンな曲をクラシック好きな先輩に教わったり(ゴルトベルク変奏曲:グールド版を知ったのはその頃です。まり眠くなりませんが)、インドネシアのガムランを紹介してもらったり、と積極的にエクスプロア―していたわけです。
そのときに、偶然出会ったのが、Brian Enoの音楽でした。その時は、まだ叔母の家に下宿させてもらっていたので、レコードプレイヤーもなく、カセットテープ商品を買いました。
これが、「Ambient 1: Music for Airpot(1978)」と「Ambient 2: The Plateaux of Mirror(1980)」のカップリングされた「2in1」カセットという、大変お得なものでした。
たしか1981年にリリースされたばかりのものを買っているはずです。
若い方は、音楽コンテンツのメディアとして、ビニールレコードとCD、MD、あたりまでは普通に和かrでしょうが、実は我々のようなステレオプレイヤーを変えないような庶民は、ラジカセで音楽を聴くために、カセットテープの商品をよく買ったものです。
もちろん耐久性が低いので、あまり何度も聞くと伸びたり、テープヘッドが噛んでしまって、ぐちゃぐちゃになったりすることもあり、悲しい思いを何度もしましたが、CDが出るまでの、あのお手軽感は何物にも代えがたいものでした。
ここでEnoが使った言葉「Ambient」というレコードタイトルが、その後、こういった趣向の音楽を「アンビエント・ミュージック」と呼ぶさきがけとなったわけです。
とにかく、このカセットテープはそれこそ擦り切れるほど聴きました。勉強中、読書中、眠る前、この2枚のアルバムは1980年代の私の数年間とともにあったと言っても過言ではありません。
その後、Brian Enoと彼の仲間たちの作る、アンビエントシリーズは、ずっと心の支え(睡眠の支え)でした。
Apollo: Atmospheres and Soundtracks(1983)
Music for Films Volume 2(More Music for Films)(1983)
あたりまでは、新譜が出るたび買って聞いてました。
「Nerve Net(1992)」あたりから、急にリズムを前景化するようになってきたので、聞かなくなりました。それまでに、Enoのクリエイトした音楽ジャンルは世界中にフォロワーを生むようになってきており、一大産業化していましたので、睡眠/瞑想目的の音楽には事欠きませんでしたからね。
とへいえ、ambient的なアルバムは間断的にリリースされており、なかでも
Music for Civic Recovery Centre(2000)は非常に好きなアルバムです。
プロデュ―サーとしてのEnoの活躍
もちろん、Enoは自身がミュージシャンとして1人称で作品をリリースするだけでなく、数多くの名作をプロデュースしております。
そもそも、大好きなキングクリムゾンのロバート・フリップと、「No pussyfotting(1973)」や「Evening Star(1975)」で競作しているように、競作も得意な方です。
※ちなみに、この2枚は用賀にあった、昔懐かしい「貸しレコード屋」で借りて、カセットに落として聴いていたことをおもいだしました。今のTSUTAYAみたいな感じで「貸しレコード屋」がまだありましたね。
そもそも上にあげた「Ambient 2: The Plateaux of Mirror(1980)」も、ハロルド・バッドとの共作です。
実際のプロデュースワークの具体的作業のやり方については全くわからないのですが、Enoがプロデュースすると素晴らしい作品ができる、ということは実績を見れば明らかです。
皆一様に、ロック音楽に大きな足跡を残した優れた作品であり、各アーティストの最高傑作が生まれています。
デビット・ボウイの「Low(1977)」「Heroes(1977)」「Lodger(1979)」はBowieの音楽的ピークと言っていいようんな作品群です。
ペンギン・カフェ・オーケストラの「Music from Penguin Cafe」も、それまで全く聞いたことのないテイストの音楽で、その後数多くのフォロワーを生みました。
トーキング・ヘッズの大ヒット作「Remain in Light(1980)」は彼らの代名詞となったアルバムです。
1984年からプロデュースをてがけてきたU2の「The Joshua Tree(1987)」で、Enoのプロデュ―サーとしての名声は全世界的なものとなったといえるでしょう。U2はその後「No Line on the Horizon(2009)」までEnoにプロデュースを依頼することになります。
コールドプレイは、「X&Y(2005)」から大ヒット作「Viva la~(2008)」、そして「Kaleidoscope(2017)」までEnoのプロデュースで音楽を作ってきました。
新しいとことでは、ジェイムズ・ブレイクの「Overgrown(2013)」なんてのも大好きなアルバムです。
こうやって見てみると、この人の現代大衆音楽に対する貢献度の大きさが察せられるというものです。
約40年聴いてますが、未だに音楽の喜びを与えてくれるEnoには感謝しかありませんね。
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