竹内まりやが私に与える自己嫌悪について

音楽

yaozoです。

前に大滝詠一の久々のCD/DVDリリースについて書きました。

大滝詠一を熱心に聞く人は、大体私のように60前後の音楽ファンが多いわけです。

そして大滝詠一が好きな人は大体において山下達郎も聞くと思います。

そして山下達郎を聞く人は竹内まりやを聞くと思います。

私も、大滝詠一 → 山下達郎 → 竹内まりや という順で好きなわけですが、山下達郎と竹内まりやについては、やや屈折した感情を抱いております。

特に竹内まりあについては、ポジティブな感情とともに、常に妬ましい感情をベースにしたネガティブな感情がないまぜになっており、そうしばしば聞きません。

またある程度聞いていると、自分でもよくわかりませんが、途中で耐えられなくなります。

なぜこうも私は、これほどまでに、天与の美しいアルトボイスと、作詞作曲能力に優れ、還暦過ぎてもなおテレジェニックな容姿を保っているという、三拍子揃ったアーティストについてこうも素直になれないのか。

 

2019年3月26日、NHK総合で『竹内まりや Music & Life ~40年をめぐる旅~』という番組放送されました。

録画してあったものを先週の休みにゆっくりみました。

https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=18143

番組は非常によく作りこまれて、彼女の40年のミュージシャンとしてのキャリアを振り返るとともに、スウェーデンでの初レコーディングの模様を挟むなど、これからの方向性を示唆しているようなものになっていました。

 

竹内まりやのプロフィール

竹内まりやは、1955年3月20日生まれなので、この原稿を書いている時点で64歳になったばかり。私より少し年上になります。

1978年のデビュー当時「高校時代には米国留学経験があり、現在は慶応義塾大学文学部英文科在学中」などという、いかにもきらびやかで都会的なプロフィールは、年下の高校生をノックアウトするには十分なものでした。

私自身も、英語が好きでできればアメリカに留学したいなぁ、などという淡い夢を持ちながらも、見事両親に却下された口だったので、時々挟まれる彼女の流ちょうな英語発音のフレーズには憧れを抱いていました。

また、それまでの日本のポップス歌手にはいなかった、よく響くアルトの歌声は、カレン・カーペンターズを思わせ、中学生でカーペンターズにはまった私としては、その点も大いに魅力を感じたものでした。いい声してるなぁ、って。

コーラスのアルバイトがきっかけでデビューした直後から、『September(1979年)』『不思議なピーチパイ(1980年)』などが大ヒットし、俊足でアイドル的な人気を獲得していきました。

そんな中、レコーディングがきっかけで親しくなった山下達郎と1980年に同棲するようになります。

そしてその後、あまりの多忙さから喉を傷めたり、自身の望む音楽生活と芸能生活とのギャップに苦しんだりという理由から、1981年には一時芸能界を引退し、1982年4月には、27歳で山下達郎と結婚。

その間、歌手としては一歩引きながら、作家として活動することになります。

彼女の音楽的ルーツは、いわゆるオールディーズポップスなのですが、大好きな曲をカバーしたアルバムもリリースされており、彼女の感性を育んだバックグランドが察せられます。

 

竹内まりやの作家としての活躍

河合奈保子に代表曲となる『けんかをやめて(1982年)』、薬師丸ひろ子『元気を出して(1984年)』、そして中山美穂の『色・ホワイトブレンド(1986年)』、広末涼子の『MajiでKoiする5秒前(1997年)』と、日本の「大衆音楽」が歌謡曲からJポップに変わっていく礎を築いた一人と言って間違いないでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=7CsdUCKoFE4

https://www.youtube.com/watch?v=AND7R7zC_qU

 

↓のアルバム『REQUEST』は、これら他のアーティストに提供した楽曲のセルフカバーを含むオールシングルといっていいようなポップな曲で占められ、彼女の人気を不動のものにしました。



また、あまり知られていないかもしれませんが、彼女は岡田有希子のデビュー曲『ファースト・デイト(1984年)』から3枚目のシングル『-Dreaming- 恋、はじめまして(1984年)』までの作品は竹内まりあのペンによるものです。

岡田有希子は、「第二の松田聖子」と評価を受け、人気絶頂のさなかに飛び降り自殺し、18歳でなくなってしまいます。

ちなみに私は、彼女がデビューしたてのころに、喫茶店で雑誌のインタビューを受けていたところに出くわしたことがあり、握手してもらいました。小さくてかわいい少女でした。

竹内まりあは、前述のNHKの番組の中でも、岡田有希子について触れ、「もっとなにか相談にのったり、助けになれたらよかった」と後悔している旨のうちを明かします。

自身も娘を持つ親となって一層その思いは強くなったのでしょう。

これまで、他人に提供した楽曲のセルフカバーはたくさんありましたが、岡田有希子の曲だけは歌えなかったとのこと。それがようやく今歌えるように思えるとして、レコーディングしました。番組では竹内まりやが歌う「ファーストデート」の一節を聞くことができます。

 

依頼されて作家として楽曲を提供しながらも、1984年にアルバム『VARIETY』を発表してカムバック。その後は、書くのもおっくうなほどの順調なアーティスト活動で現在に至っています。

夫の山下達郎を日本の音楽史に深く刻み込むこととなった『クリスマス・イブ(1983)年』とともに、ポップス史的には、その両A面シングルのカップリングソングと言ってもよい、彼女の『今夜はHearty Party(1995年)』(KFCのCMソング)は、ともにクリスマスソングの定番となっています。

先日2019年3月には、ついに芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、「国民的アーティスト」となったわけです。

そして、アーティストとしての「長寿」の幸せを夫婦ともども享受しています。

 

人生に対する圧倒的な肯定感

とここまで、相応の時数を使って彼女の輝かしいキャリアをたどってきたのは、実はそのキャリアを素直に祝福することが目的ではありません。

そんなことは多くのみなさんがやっていますし、無意識のうちに彼女の音楽の力に助けられていることと思います。

私が、ここで考えてみたいのは、夫の山下達郎と妻の竹内まりやの、『あまりに完璧な幸福像』についてです。

冒頭に紹介したNHKの番組には、夫の山下達郎からの音声メッセージも流され、その中で彼は、音楽家竹内まりやの美点を「人生に対する圧倒的な肯定感」だと語っていました。

この言葉に関しては、さすが稀代のアーティストであるとともに、夫でもある山下達郎、核心をつく一言だなぁ、と感服した次第です。

そして、ちょうど私が、この竹内まりやというアーティストに惹かれながらも、どうしても抵抗感を感じてしまうのも、この点なのです。

無論、きわめて純粋に「うらやましい」だけなのですが、その「完璧なまでの人生模様」に対して、凡人として強度の嫉妬を感じてしまうのです。

それは周りからはどんなに完ぺきに見える彼女にしたって60も過ぎたいい大人なのですし、人の親でもあるのでしょうから、辛いこと悲しいこと、たくさんあったに違いありません。そこらあたりは、芸術家であろうと凡人であろうと、大きな違いはないと思います。2017年に実家の旅館のオーナーとなったということですが、なにか少しぐらいごたごたがあってもおかしくありませんね。

しかし、ここまで大きな仕事を成し遂げていながら、何か彼女にはそれに見合うような「欠落」のようなものが欠けているように思えてなりません。

「欠落が欠けている」というのも、決して上手な表現ではありませんが、この人のことを思うとき、この言葉がこびりついて離れないもやのように、つきまとって感じられます。

たとえば、矢沢永吉という大スターがいます。日本の音楽業界で頂点を極めたアーティストです。しかし、親しい人に裏切られて酷い目にあっていますね。その点について聞かれたときに彼は『人生行って来いよ』と断言していました。『いいこともあればね、そりゃ悪いこともおんなじだけあんのよ。絶対的に幸せな人なんていない。だから全然気にしてない。むしろ自然なことだよね』といったようなことを言っていました。

それでいうなら、この竹内まりやという人には、『行って来い』感が感じられません。

日本を代表するアーティストの夫と、かわいいお子さんにも恵まれ、しかもそのお子さん(娘さんらしいですが)については完全に親の仕事からの悪影響化から免れるように周到なケアがされており、本当に一般人としての生活を送っているように推察されます。

現在は東京FMで放送されている『山下達郎のサンデーソングブック』にも、定期的に「夫婦対談」と称してゲスト出演し、その仲睦まじい様子を知らせてくれています。

う~む。何もない。欠けたところがない。思いっきりはしたない言い方をすれば「ずるい」という言葉がでてきます。


宇多田ヒカルの圧倒的な欠落感

たとえば、2018年6月に、おなじくNHK総合の『SONGSスペシャル』に「宇多田ヒカル」が出演しています。

聞き手に芥川賞作家の又吉直樹をたて、『Automatic(1998年)』から20年にわたる音楽キャリアの中で、主に彼女の詩の世界にフォーカスをあてて構成した優れた回でした。

正直、このアーティストのこともそれほど一所懸命フォローしているわけではないので、歌詞まで気を付けて聞いたことがありませんでした。

しかし、実の母藤圭子を自殺で亡くした後に、母に捧げるとして書いた『花束を君に(2016年)』を自作解説するときに、「失ったものが大きいほど、こういったクリエィティブな作業をするときに影響がある」というようなことを語る姿を見て、様々な屈曲を重ねてきた大人のアーティストなのだなぁ、としみじみと感激した次第です。

 

 

15歳の若さで、文字通りJポップ界に衝撃を与えてデビューし、その後、実に山あり谷ありで様々な人生模様を送ってきた彼女と、その正反対のように映る竹内まりやを比較するのは、それはそれでどうなのか、という風にも思いますが、少なくとも、宇多田ヒカルに関しては、「大いなる欠落感」とそれを埋めるための「芸術作品」といった、クラシックでベタな相補的構造を容易に見ることができます。

宇多田ヒカルも人生に対する肯定感は感じるのですが、彼女の場合は「それでも人生を肯定して生きていくしかないじゃないか」という「それでも感」が前提となっているように思います。

彼女の曲は大概の場合「せつなさ」がつきまといます。「欠落感からくるせつなさ」が作品の種になっているように思います。どの曲を聴いても(楽し気な曲もたくさんあるのですが)大体せつない気持ちになります。そういう意味では、私にとって、いつも耳にしていたいというタイプのアーティストではありません。ただでさえ、壮年期鬱的な症状を抱えて生きているのに、彼女の曲を頻々に聞いていると症状がブーストされる気もします。

ともあれ、竹内まりやのちょうど半分くらいの年(この投稿時点でまだ36歳)で、こんなに波乱万丈で、とても幸せに恵まれた半生とは思えない女性を見るとき、竹内まりやに対して私が感じる「違和感」はいや増しに増すのです。

竹内まりあの人生に対する肯定感は「無前提の肯定感」のように感じます。「人生って、それだけで素晴らしいものですね」というメッセージが根幹にあるように思います。

人生に対してそのように思える人はそれほど多くはないと思います。そして、だからこそそれが彼女の魅力となり人を惹きつける引力となっているのでしょう。

しかしそんな彼女の人生観に対して、少なくとも「共感」というものを抱くのは容易ではありません。

 

私の性根が腐っていて、人間として弱い点がこのように思わせる原因なのはわかっているのですが、このアーティストを見るとき、どうしても、そのわが身の脆弱さとともに、彼女の圧倒的な幸福を(勝手に)想像し、居心地の悪い気持ちになってしまうのです。

竹内まりやファンで、かつ山下達郎ファンという方々は、日本には少なくないと思いますが、そういったみなさんは、いったいどのような気持ちで、この夫婦ミュージシャンを見ているのでしょうね。全く想像がつきません。

私などは、高校以来の山下達郎ファンで、『サンデーソングブック』はほぼ毎週欠かさず聞いているにもかかわらず、こういった実に低レベルのわだかまりから少し解放されてコンサートに行けたのは、40数年も経た昨年2018年がはじめてでした。

ファンの方々はきっとみな、人柄のいい、人徳に優れた、謙虚な方たちばかりのなのでしょうね。

などと思い、よけいに自己嫌悪に陥る私なのでした。そして、明日の日曜日も『サンデーソングブック』をラジコで聞くのでしょう。

ああ。

※初投稿では「竹内まりや」さんのことを「竹内まりあ」さんと誤記していました。2019/09/17、訂正させていただきます。ずっと「まりあ」さんだと思っていました。娘に笑われました。いわく「パパ、山下達郎のファン何年やってんの?」。二の句が継げない、とはこのこと。

 



 



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Posted by yaozo