秋に聴きたい音楽 ~ ヴァシュティ・バニヤンを聴いたことがありますか?
yaozoです。
シルバーウィーク真っ最中で、もう9月も終わりですね。
これまでのように、「夏休みはおでかけできなかったから、シルバーウィークに少しどっか行こうか」みたいなわけにもいかない状況ですし。
と、まぁ、オリパラも終わりましたし、気持ちをあげていけるようなきっかけや材料はほとんどみあたらない2021年の秋なのです。
で、こういうときは無理やり盛り上がらないのが、得策だと思います。
秋は秋なりの気分を楽しみたいものです。
ということで、秋っぽい音楽の話です。
まぁ、色々と秋を感じて、まったりできる音楽はたくさんあります。
今日は、日本ではほとんど無名のフォークシンガーを紹介したいと思います。
ヴァシュティ・バニヤンというフォークシンガー
秋になると、この人の音楽に触れたくなります。
英国出身の女性フォークシンガー、ヴァシュティ・バニヤンです。
↓は彼女のカルト的人気を代表する楽曲、『Just Another Diamond Day』。
上が、ごく短いタイトル曲ですが、アルバム全部通して流して聞く方がいいに決まってます。
頭から最後まで、↑のような感じに包んでくれます。
自分が、いつのどんな時代にいるのか、なんだかわからなくなって、アルバムを聴いている時だけ、時代にも何にも無責任でいられるような、そんな雰囲気が味わえます。
このアルバムは、後に「アシッド・フォーク」といったジャンルの代表作と語られるようになる、1970年リリースの希代の名盤です。
ところが、そんな「後に発掘される名盤」も、リリースしたときには、鳴かず飛ばずだったらしく、あまりに落胆したバニヤンは、そのまま音楽界を引退します。
しかし、時代が経るにつれ、特に21世紀にになってから、誰言うともなく、この独特の世界観に惹かれるミュージシャンやミュージシャンの卵がこのアルバムにインスパイアされた音楽をはじめるようになります。
いきおい、本人に対する注目も高まり、なんと彼女は35年ぶりにカムバックを果たしセカンドアルバム『Lookingaftering(2003)』、そしてサードアルバム『Heartleap(2014)』をリリースし、現在も音楽活動を続けています。
まぁ、簡単にまとめるとこんな感じのアーティストです。
名作『Just Another Diamond Day』リリースに至るまで
アウトルックできたので、次は少し深堀してみましょう。
バニヤンとは一体どういうアーティストでしょう。
お名前は、Vashti Bunyanとつづります。
なんとなく、姓名ともに英国っぽくないなぁ、などと思いますが、少なくとも苗字のBunyanは、そこそこトラディショナルな英国人の苗字らしく、『天路歴程』という宗教書を書いた17世紀の英国の宗教者に、John Bunyanという人がいるようです。『若草物語』にもその書が出てくるというくらい、プロテスタントに大きな影響を与えた方とのこと。親戚ではないとのことですが、、、。
一方、Vashtiは、ペルシャの女王の名なのですが、これはミドルネームのようで、 Jennifer Vashti Bunyanがフルネームです。つまり、ジェニファーさんなんですね。
デビュー間もないころは、単に「Vashiti」とクレジットしていたこともあるようです。
このバニヤンの略歴を簡単にwikiから要約します。
1945年にイングランドのニューカッスルで生まれて、生後6か月でロンドンに引っ越し。ティーネージャーになった彼女は、18歳のころニューヨークに渡り、ボブ・ディランの『フリー・ホイーリング』に感銘を受け、ミュージシャンを志します。
1945年生まれは、エリック・クラプトン、ロッド・スチュワート、ヴァン・モリソンといったアーティストがいます。つまりそういった世代の人なんですね。
アメリカ遊学からロンドンに戻った彼女は、ストーンズのマネージャーと知己を得たことから、1965年にミック・ジャガーとキース・リチャードのペンによる『SOME TINGS Just Stick In Your Mind』でデビューします。
所属のデッカ・レーベルから、スターのマリアンヌ・フェイスフルが抜けちゃった頃らしく、そこを埋める腹づもりだったようです。オリジナルでデビューしたがっていたバニヤンのデビュー曲A面にマネージャーはこの曲をあてがい、「第二のマリアンヌ・フェイスフル」として売り出そうとしたようです。まぁ、失敗するわけですが。
この楽曲は、その後、ストーンズ自身がセルフカバーしてリリースされてます。ミック・ジャガーが歌うと普通のストーンズの曲に聞こえます。すごいなぁ。
ちなみに、この楽曲では、後にレッド・ツェッペリンを結成するジミー・ペイジがスタジオ・ミュージシャンとしてギターを弾いているそうです。
その後のバニヤンのカルト的人気のため、このシングルは今では大変なプレミアがついているようです。
そして2枚目のシングル『Train Song』をリリースします。「恋人を追って北に旅する」と歌います。
この曲も残念ながら注目を集めることなく、彼女のキャリアをブーストすることはありませんでした。
その後、いくつかのオムニバスなどに客演した後、当時のイギリス・フォークシーンの中心的人物だったドノバンが計画したコミューン(すごいなぁ、若い人は何のことかわからないと思いますが、気になったら調べてください)に参加するために、当時のパートナーと、子供と犬ともに、馬車に乗って北を目指します。
その度の途中で書いた曲を集めて作られたアルバムが↑の『Just Another Golden Days』なわけです。
いくら1960年代とはいえ、馬車はないだろう、などとYouTubeをブラウズしていたら、実際に馬車で旅しているところを撮影している映像が残っていました。
まじでギターをかかえて、馬車に揺られて旅しています。
これは、BBC Oneの1970年放送のドキュメンタリー番組のフッテージですが、このときの模様は後にドキュメンタリー映画としてまとめられることになります。
動画の中では、「バニヤンは、より自由で静謐な生活を求めて旅をしているのです」と語られています。
しかし、下に貼った、いくつかの本人によるアーティクルを読むと、その旅は、決して楽しく愉快なものではなかったようです。
1966年の夏のアメリカは「サマーオブラブ」と呼ばれる、ヒッピームーブメントが起こっていました。英国の若者たちも(無論、日本を含む世界中の若者たちも)、この大きな時代のうねりに大いに影響を受けて、同様のムーブメントを起こしたものと想像できますが、アメリカのムーブメント同様、この英国のムーブメントも、そのパッケージほどにはハッピーなものではなかったようです。
ともあれ、結局はうまくいかなかった、このドノバンによるコミューンに参加すべく、2年に渡り放浪した、彼女のこの無残な日々も、その見返りとして、素晴らしい作品群を生み出してくれたわけです。
それは、たとえばビートルズが、頼りにしていたマネージャーであるブライアン・エプスタインの急死を受けて、インドにわたり、導師マハリシから心の安寧を得ようと頑張ったあげく、マハリシがまがいものであったと悟り、英国に帰ることになりましたが、そのインドでの滞在中に多くの楽曲を制作し、これがのちの『ホワイト・アルバム』や、ソロになってから発表した作品の数々を生んだエピソードを早期させます。
バニヤンにとっても、このどう見ても最初から何にもなりそうになかった放浪の旅の途中で作られた楽曲の数々は、その辛い旅にある自分を慰めてくれるような役割を担ったのではないでしょうか。
デビュー後の2枚の(うまくいかなかった)ポップシングルの調子とは打って変わって、あまりにも儚く切ない楽曲の数々は、彼女の特徴的な歌声(ミック・ジャガーはそれを真似して、からかったそうですが)とあいまって、後のある種の若者たちの心を強く打ったようです。
それは、たとえば、「chill out」ミュージック的な、レイドバックしたというか、リラックスしたいムードにあるときに、強く心を打つような作品集として出来上がっています。
カムバックしたバニヤン
時代はめぐる、というか、結局、60年代後半から70年代前半に主に制作され、後に「アシッド・フォーク」と呼ばれるようになる楽曲やアーティストは、後にちゃんと発見されることになります。
バニヤンはその典型例であり、今では、彼女のデビュー・シングルをはじめ、『Just Another Diamond Days』のオリジナルのビニール・アルバムは、とんでもないプレミアム(一説には約40万円とか)がついて取引されているようです。
彼女に重篤にインスパイアされたことを公言するアーティストも少なくありません。
米国のフォーク・シンガー、デヴェンドラ・バンハートなどは、ステージにあがるとき、腕に彼女の名前を書く、とまで聞きました。
割と彼女の影響がわかりやすく出ている楽曲を選んでみました。
『Saturday Night』です。
『Ape in Pink Marble』の一曲です。
アシッド・フォークの特徴である、ボーカルに深めのエコー、リコーダーなどのアコースティック/トラディショナルな楽器を使った、ミニマルな編成、といった感じが出ています。
この曲では、生のドラムではなく、リズムボックスが使われていますし、キーボードもちょっと調子はずれの感じで、メロトロンっぽさが聞き取れます。メロトロンは、ビートルズの『ストロベリーフィールズ・フォーエバー』のイントロの音がポップミュージックで最初に録音されたと言われています。
そして、ついに2000年になると、『Just Another Diamond Days』が(何曲かのおまけ曲と合わせて)CD化され、バニヤンの影響力は決定的になったようです。
これを聴いて、ミレニアム世代のミュージシャンや音楽ファンの中に、バニヤンのコアなファンが生まれました。
そして、そういった時代の流れを受けて、バニヤンはなんと音楽業界へのカムバックを遂げるわけです。
実に『Just Another Diamond Days』から35年を経た2005年にセカンドアルバム『Lookingaftering(2003)』をリリースします。
まぁ、35年を経ても、なんというか、その世界観というか、小説でいう「読後感」といったものは、少しも変わっていないんですねぇ。
この2005年のセカンドアルバムのサウンド自体は、『Just Another-』にガツンときた若いミュージシャンに対して、このような世界観をどのように今日的に展開するかに関する大きなヒントを得たのではないでしょうか。
ファーストアルバムよりも、多様な楽器を用い、サウンドはハイファイになってますが、にもかかわらず、読後感が変わらない。
ということは、この読後感を生み出すものは、サウンド「そのもの」ではなくて、サウンドとの「接し方」にある、ということに気づかされます。
ここには、上で紹介したバンハート、そしてジョアンナ・ニューサム、アデム、カリティック・カンパニーのケヴィン・バーカー、エスパーズのオットー・ハウザー、マイス・パレードのアダム・ピアースなどといった現代の、バニヤン・フォロワーというかバニヤン・チルドレンが録音に参加しています。
上の曲なんて、ギターとキーボードのアンサンブルで、オフビートな感じは、少し明るいバニヤン・チルドレンです。
このマイス・パレードあたりになってくると、いわゆる「ポスト・ロック」系の人たちに分類されると思うのですが、つまりは、スタジアム・ロックでイエーイ全盛だった時代の後の、もう少し内省的なポピュラー音楽をやる人たちには、このバニヤンとか、フェアポート・コンベンションあたりが刺激になっていたのかもしれません。
そして、少し時を経た2014には、サードアルバム『Heatleap』をリリースします。
もうこの頃には、音楽評論家から、セカンドアルバムのリリース後のバニヤン礼賛は定着していたようなので、ダメ押し、といった感じだったでしょう。
プロデュースも、セルフプロデュースで、この頃のことを、「そのころには、自分が作り出したい音楽の作り方はわかってきていた」と語っています。
このサードアルバムも「一体いつのアルバムやねん?」的な、時代性を全く感じさせないアルバムに仕上がっています。
ご本人は、このサードアルバムをラストアルバムだと宣言しており、これ以上アルバム制作をするつもりはないようです。
ちなみに、セカンド、サードのアートワーク(油絵含む)は、35年間の音楽的空白期間に一所懸命育てた娘さんの一人、Whyn Lewsさんの手になるものだそうです。
極めて印象的で、バニヤンの音楽世界に驚くほどマッチしています。ファーストアルバムのカバーも彼女にやってもらった方がよかったくらい(時間的に矛盾するので無理筋ですが)。
Whyn Lews公式HP
http://whynlewis.com/whynlewis.com/Newest_paintings.html
バニヤンは、3枚のアルバムの楽曲を主なセットリストで、世界中でライブも行うようになりました。
まぁ、熱狂的なバニヤンファンにはたまりませんね。
↑は、サードアルバムリリース直後の2014年にコペンハーゲンで行われたライブから、私の大好きな一曲『Train Song』です。
いずれの国も、愛する人を追いかけたり、傷心から逃げる場合、寒い場所を目指し、北へ向かうのでしょうか。この『Train Song』も、「もうすぐ会えるわよ、もうすぐよ」とリフレインされます。
この曲は、マシュー・マコノヒー主演の米HBO製作の癖の強い刑事ドラマ『True Detective(Season One 2014)』でも使われました。この楽曲の持つ、不可思議で不安定な雰囲気が、ドラマの進行を大いに助けていました。
ドラマを見てて、この曲がかかった時、「あっ」と思いました。ドラマが、過去と現在を行き来するものなので、過去の時代の空気を表すのにも、大変効果的でした。
来日もしていた?
私のように、彼女の音楽の魅力に心をうたれた日本の音楽ファンもいるようで、『Vashti Bunyan Japan Tour 2015』と題して、来日公演も行われています。
シンラのHPで確認できました。
https://www.cinra.net/news/20150623-vashtibunyan
東京だと、品川駅近くの、北品川キリスト品川教会で2回行われたとのこと。
なんだ、我が家のすぐそばだったんだ、と気づいたのは、ライブが行われて数年後のことです。
よもや、バニヤンが日本に来るなんて想像できませんからね。
日本公演は、京都の教育文化センターで1回、東京の品川教会で2回、計3回のみやって帰ったようです。
そのあたりの目立たない感じもバニヤンらしいと言えばらしいのですが。
このサイズの来日公演なら、大きなプロモートしなかったんでしょうね。
失敗した。
かなりのプロモーションをしてくれたジョアン・ジルベルトの来日公演は行けましたけどね。
私にとっては、知ってれば必ず行く、っていう類のライブの1本でした。残念。
まぁ、もう一生来ないと思いますので、生の歌声は聞けないでしょうね。
特に品川教会のチャペルなんて、キャパも少ないし、音はいいしで、最高のライブだったはずです。
終わったら、サイン会とかしなかったんですかね。優しくやってくれそうですけど、、、。
あなたの秋の1枚はなんですか?
というわけで、私の秋に聴きたいアーティストを紹介しました。
冒頭に書いたように、こういったなんとも寂しい秋の日、特に日曜日の午後なんて、なにかしっかりと心にあたるようなアーティストやアルバムを持っていると、人生は少しだけ生きやすくなると思います。
ヴァシュティ・バニヤンは、村上春樹の『海辺のカフカ(2002)』に出てくる、1枚だけシングルを出してその後音楽界を離れた女性シンガーのことを想起させてくれます。『ひこうき雲』のときの荒井由実っぽくもありますが、、、。
そういえば、『海辺のカフカ』なんて、秋に読むにはぴったりな長編小説なような気がしますね。
あなたの秋の1枚はなんですか?
yaozoでした。
ディスカッション
コメント一覧
私も来日していたのは後で知りました。ただ事前に知っていたとしても行ってたかは微妙ですね。。。コアなオリジナルファンの方々に気後れしてしまうかな、と。
自分はこのオムニバス経由で存在を知ったと記憶しています。
https://tower.jp/item/2037122/White-Bicycles%EF%BC%9A-Making-Music-In-The-1960s-The-Joe-Boyd-Sotry
「Just Another Diamond Day」がCD化されたのだってもう20年近く前ですか。。。
アシッドフォークなのかわかりませんが、私はフランソワーズ・アルディのファンなのですが、
荒井由実もアルディのファンで、「私のフランソワーズ」ってのがあるらしいですね。
久々にコメントさせていただきました。
お久しぶりです!!
いいオムニバスアルバムですねぇ。大変イングリッシュで、素晴らしい。
フランソワーズ・アルディも最高ですね。「私は待っている~わ~、あなたを待っている~わ~」で大変懐かしい歌姫ですね。
私も久しぶりにアルディのベストを通しで聞いてみます。1960年代のシャンソンは、お隣の英国のフォーク音楽の影響を受けてますよね。逆に英国音楽もシャンソンを吸収していたようで、英仏の音楽的交流が今よりも、もっともっとあった時代ですね。フランスの文化(哲学とか舞台芸術とかとか)がまだ、世界に対してプレゼンスを持っていた時代ですよね。
ありがとうございます。秋のシャンソン、いただきます。